ども〜
皆様お元気ですか?
最近は生活に少し余裕のある時は
週一の太鼓練習と週末蕎麦打ちがもっぱらストレス解消行事となっております。
寒い冬の間は去年から始めたテニスもお休みでした。
このまま長期活動停止になることをさけたいところです。
今年は今年はと言いつつ、もう1/3程終わってしまいました

早すぎです。
さてさて
今週も蕎麦を打とうと思います。
ところで蕎麦には色々な種類があります。
蕎麦の実のどこの部分を使うかで出来上がりの様子が様変わりします。
外殻を少し入れたり、丸抜きの実を覆っている表皮を入れたり、
胚乳、胚芽、色々な部分を自分の好みと腕に合わせてブレンドします。
田舎そばのような蕎麦の香りたつもの、更級のような喉越しと甘みが際立つもの。
はたまたそれらを珈琲のようにブレンドして自分好みにしたり。。
そして作って寝かせたカエシと出し汁を合わせて蕎麦汁を作ります。
カエシの原料の醤油の種類、砂糖の種類、醤油に火を入れるかどうか、出し汁には鰹、サバ、こぶ、椎茸など、さらにそれらの中でも多種に分かれています。
そうなんです。
突き詰めたらきりがないんです。
それらの組み合わせはきっと天文学的数値になります。
人の好みもそれぞれですし。
つきつめてつきつめて
本質を知るためにはとことんやらねば!
なんていっちゃって
疲れた。「もう、やーめた」
なんてなっつったら
最初の精神
「楽しく蕎麦を打って、自分も食べる人も喜んでもらう」
そこに到達せず、本末転倒甚だしいので。
それに人間の舌、鼻は天文学的種類の違いを感じることができそうもないのでそこはあまり気にしないことにしています。
そう気にしない気にしない
話はどんどん変わっていきますが

。。
まあ、いつでも尺度は決まって自分も周りの人も楽しいかってとこです。
物事を突き詰めるのも、何かをやり遂げる時も
どちらもかけては成り立ちません。
自分を犠牲にして皆を!
みたいな事は生命の本質に逆らったまさに偽善です。
いつでも自分も周りの人も幸せでなくてはなりません。
こういうことってないですか?
初めの精神よくある「皆が幸せになるために」
って掲げていつの間にやら各人のエゴやら何やら出てきちゃって
気づいたら自分も他人も不幸にしてるって。
宗教、会社、趣味,まあ人間が関わることなんでもそんなんがあると思います。
そんなんだらけですね。
科学の進歩も人間と地球にとってよいものでなければ意味ありません。
そのためにやってるんでしょ?
あれ?ちがう?
「知りたい」からやってるだけ?
ほどほどにしてください。はい。
そして更に話は変わって。。
そろそろ急ぐのやめませんか?
ま、でも急ぐ人がいる限り社会は急ぐ人に引っ張られます。
なのでうちの会社もお客さんに納期を迫られます
一人で「ゆっくり行こうぜ」なんて言ってても
急ぐ人に全部自分の飯を取られてては「ゆっくりいこう」といい続けられません。
理想と現実の中でのバランスをてとらないと。
今、この機にライフワークがどうたらこうたら言ってますが。
そろそろまともに考えないといろんなことが説明つかなくなってきたんですね。
何のために発展していってるのか
何のために急いでいるのか
どこに向かって走ってる?
ゴールは見えてる?
自分は日々急がされても
心にいつも
いつかみんなゆっくりになれって
大事に抱えて過ごしていこうと思います。
ゆっくり味わうとご飯がおいしいのだ。
